2015年


ーーー1/6−−− 初笑いをどうぞ


 
先日、ある酒席に加わった。参加者は10人ほどだが、特に親しい関係では無い。事務的なお付き合いなので、楽しく砕けた雰囲気でもない。その席で、どちらかと言えばマイナーな存在で、あまり喋りもしない男がポツリと発した言葉が、全員を爆笑させた。お正月のお笑いネタとして、ご紹介しよう。

 昨年の秋は、山の獣が里に降りてきて、猟友会が出動すると言うケースが頻発した。酒席の一人Y氏は、猟友会のメンバーで、その件について詳しく話し出した。

 この近くの住宅地に熊が出現した時は、大騒ぎだったそうである。猟友会、警察、消防団、役場、新聞社など、100人くらいが出動し、大捕物劇となった。結果的に熊は仕留められたが、至近距離にいたハンターが、銃の操作を誤り、危うく熊に襲われるところだったとか。ハンターは、人家のある場所で銃をケースから出し、弾丸を込めるという行為をするのに大きな心理的プレッシャーがある。そのためにアクションが遅れたのだと、Y氏は説明した。

 ところで、警察官はそういう場合に拳銃を使って獣を撃って良いものか?という疑問が呈された。Y氏は、基本的には警官は発砲できない事になっているが、住民に危険が及びそうな場合にはその限りでない、と言った。過去には、国内の他の地域だが、警官がイノシシを射殺したケースがあったとも。さらにY氏は、これからはルールを変えて、警官でも獣を撃てるようにすべきだし、そのような訓練もすべきだと持論をぶちまけた。

 そこで男は言った「警官がイノシシを撃つ場合、やっぱりまず脚を狙うんですかね?」




ーーー1/13−−− 冬山の地獄


 
テレビで映画「八甲田山」をやっていた。懐かしく思いながら、最後まで観た。映像が、冬山の恐ろしさをどこまで表現できているかは別として、過去に厳しい冬山を経験した自分にとって、やはり胸に来るものがあった。

 大学で山岳部に所属して以来、何回か冬山に登った。その中で、最も過酷だったのは、一年生のときの冬山合宿、南アルプスの荒川岳であった。

 年末に入山。三伏峠から、荒川岳、赤石岳、聖岳と縦走する計画だったと記憶している。たしか三日目だったと思うが、荒川岳の登りに掛かった頃から、天気が荒れ出した。吹きっ曝しの斜面で進退を迷い、暫く様子を見ることにした。一行四人は身を寄せるようにしてザックに座り、ツェルト(簡易テント)を被った。強風でツェルトが飛ばされそうだった。元気を出すために、皆で唄を歌った。

 天気は荒れていたが、それ以上悪くなる気配も無かったので、前進することにした。ようやく荒川岳の山頂を越えた辺りで、夕刻となった。山頂から少し南側に下った稜線上に、テントを張った。幸いにも、ちょっとした窪地があり、強風の直撃が避けられる状況だった。テントの中でコンロを焚くと、衣類に付いた雪が融けて、濡れてじっとりとした。その当時は、ビニロン製の素材が多く、雪が付き易かったのである。

 夜半からさらに風が強くなった。寒さと恐怖のため、ほとんど眠れなかった。ビニロン製のウインパー型テントは、木綿の内張りごと凍り付いた。

 翌朝は、猛吹雪だった。しかし、この場に留まるのは危険と判断し、前進して稜線を下ることにした。出発準備をして、テントから出たが、ここからが修羅場であった。

 ビニロン製のヤッケは、瞬時に凍ってバリバリになった。強風のため、みんなフラフラしながら撤収作業をした。テントが凍り付いて、まとめるのが厄介だった。特に木綿製の内張りは、カチカチに凍り、やっとのことで折り畳んでも、元の大きさの三倍くらいあった。激しい風と雪のため、回りは白一色であった。アイゼンバンドが凍り付いて、装着が難しかった。手先を利かすために、オーバー手袋を外したら、とたんに指先の感覚が無くなった。

 過酷な状況のため、撤収作業は大幅に遅れた。もたもたしているうちに、どんどん体温が奪われる。ようやく全員の準備が終わり、ザックを担いで立ち上がると、ザックが風にあおられて雪面に倒された。猛吹雪のため、視界がほとんどない。その白く濁った視界の中で、よろめいたり、倒れたりを繰り返すメンバーの姿は、白昼夢のような光景だった。安物のゴーグルに雪が付いて、前が見えなくなった。ゴーグルを外すと、裸眼に雪が突き刺さり、涙が出て、それがまつ毛に凍り付いて、眼が開けられなくなった。手袋でこすって氷を取り払おうとしたが、無駄だった。ほとんど目が見えない状態で、手探りのようにして進まざるを得なかった。まさにこの世の地獄という様相を呈していた。

 良く覚えてないが、そのような悪天候の中、岩場の稜線を下るのは危険で厳しかったと思う。それでも、標高を下げて行くうちに風雪は弱まり、荒川小屋の辺りまで降りると、比較的穏やかになった。ようやく一息付いた。メンバーの状況を確認した。ほとんどの者が、手足の感覚が無くなり、顏に凍傷が生じていた。

 身体的ダメージが大きいと判断され、予定を変更して、大聖寺平から小渋川へ降りることにした。つまり、緊急下山である。この下山も、長く辛かったが、先ほどまでの地獄と比べれば、気持ちは楽だった。

 下界に降りたら、銭湯に入り、食堂で温かい飯でも食べようと考えたが、正月のためどこも閉まっていて、がっかりだった。仕方なく列車に乗って、帰路に就いた。登山の食糧からカンパンなどを出して食べた。そして、車窓に流れる正月の風景をぼんやりと眺めた。恐怖の体験から解放された安堵感にひたりながら、痛む手足をさすったりして過ごした。





ーーー1/20−−− 劣勢をバネにする


 
家内と一緒に、あるご夫婦とお話をする機会があった。お孫さんが走るのが早いという話から、子供の運動の話題になった。こちらは、次女が小学校の6年間続けてリレーの選手だったなどと話したが、そんな自慢話の応酬が一段落した後、私は自分自身の事を述べた。

 私は小学生の頃、走るのが遅かった。運動会の徒競走で、三位以内に入ったことは一度も無い。上位でゴールした子供は、それぞれの順位の旗に並ぶが、番外の子供は席へ戻される。それがとても寂しかった。一度で良いから旗に並びたいと思ったものだった。しかし、それはついに一度も無かった。そんな話をした。

 運動会と言えば、近頃は個人が競い合って差が出る競技、例えば徒競走などが廃止される傾向があるらしい。それが話題に上ると、その場の一同は「そういうのはおかしい」という意見で一致した。集団の中で、個々の能力に差が出るのは、あらがいようがない事。それから目をそらさずに、受け止める事も大切。走るのが速い子は、それなりに努力をするし、また苦労もある。遅い子は、友達に速い子がいると、自慢に思ったりする。親の見栄など関係なしに、子供たちは自分らでちゃんと落とし所を心得ているものだ。などという意見が出た。最後に私が、「自分のように、旗に並べず寂しい思いをする、という事も、大切な経験なのです」と結論めいたことを言ったら、一同は苦笑した。

 長野県内のある地域に、評判の喫茶店があり、テレビで紹介されていた。コーヒーの味がとても良く、連日多くの客で賑わうという。店主は、まだ若い女性である。美味しいコーヒーを入れるために、相当の努力と工夫をしているらしい。その人が、インタビューに応えてこう話していた「私は子供の頃から、何事にも自信が持てませんでした。それがとても嫌でした。社会人になってから、何でも良いから、自信が持てるものを仕事にしたいと考えました。それで行き着いたのがこの仕事です。自信が持てるようになりたくて、頑張りました」

 負の立場に立つことで生まれる向上の意欲というものもあるのだ。成果を得るのに時間がかかる者は、その努力の過程を大切にし、得られた成果も大切にする。





ーーー1/27−−− 熟成期間


 
ある展示会で、来場者が私に質問をした。一つの椅子を作り上げるのに、どれくらいの日数がかかるのかと。椅子の製作時間の事ではない。新たな椅子を作る際、アイデアが浮かんでから、製品として完成するまでに要する期間を訊ねたのである。

 アイデアが浮かんだら、スケッチを描く。大まかに形が決まり、各部の寸法などが定まったら、原寸大の図面を描く。その前に、5分の1のミニチュアを作って、形状を立体的な視点から確認する場合もある。原寸図から型紙を取る。型紙を取るために、原寸大の図面が必要なのである。図面と型紙に基づいて、試作品を作る。

 試作品が出来上がったら、座り心地、外観のバランス、強度などをチェックする。試作品が一発で合格となる事は、まず無い。切ったり張ったり、現物に手を入れて、具合の悪いところを直す。良い感じになったら、図面を修正する。修正部分の型紙を取り直す。新たな図面と型紙を使って、修正版の試作品を作る。それで再び検討をする。外観的な問題は、なかなか解決しないことが多い。部分的には、何度も型紙を作り直して、試作を練り直す。

 「このような過程を経て完成するので、全く新規の場合は、1ヶ月以上掛かった事もありました」と答えた。さらに「そのようにして出来上がった椅子を、そのまま売り出すことはありません。自分である程度の期間使ってみて、ガタが来ないかとか、見た目におかしな所が無いかなど、さらに入念にチェックします。使っているうちに気付く事もあるのです。春夏秋冬を過ごして問題が無ければ、製品として販売しても良いと判断します。ここにあるアームチェアCatも、一年以上自宅で試用してから世に出しました」と言った。

 するとお客様は「そりゃあ、商売にならないな」と言った。「製造業の基本は、新商品を開発したら、いち早く開発費を回収しなければならない。そのために、ある程度見切り発車で販売を開始することもあるくらいだ。完成してから販売するまで一年間も待たされるようじゃ、商売にならないよ」。私は、なるほどと理解した。理解した所で、何が変わるわけでも無いが・・・

 先日、新規のお客様が、電話で予約を下さった約束の日時に、工房へ来られた。ご夫婦で熱心に椅子を見て下さった。アームチェアCatが気に入られたとの事だった。商談が成立した後、母屋へ移って、家内が作ったアップルパイとブルーベリーパイを食べながら、お茶にした。いろいろなお話をして、楽しく過ごした。話の中で、たまたま上に述べた「一年間おいてから販売」の事を述べた。するとお客様は、「それはマッサンと同じですね」と言われた。

 ウイスキーは、蒸溜が終わって樽に詰めても、すぐには販売できない。何年か熟成させなければ、商品にならないのである。その間、商品の売り上げが無いということが、経営にとって極めて不利になる。

 マッサンは、ウイスキー作りの資金を稼ぐために、リンゴジュースの製造販売に取り組んだ。木工家具工房にも、リンゴジュースに当たるものがあればと思うが・・・




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